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東京高等裁判所 平成5年(ネ)4565号 判決

控訴人・附帯被控訴人(以下「控訴人」という。)

菊池久

控訴人・附帯被控訴人(以下「控訴人」という。)

株式会社東京スポーツ新聞社

右代表者代表取締役

太刀川恒夫

右両名訴訟代理人弁護士

中村尚彦

被控訴人・附帯控訴人(以下「被控訴人」という。)

甲野一郎

右訴訟代理人弁護士

水島正明

主文

一  本件控訴に基づき、原判決中控訴人ら敗訴の部分を取り消す。

二  右部分につき、被控訴人の請求をいずれも棄却する。

三  本件附帯控訴をいずれも棄却する。

四  訴訟費用は第一・二審とも被控訴人の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  控訴人ら

主文同旨。

二  被控訴人

1  本件控訴を棄却する。

2  附帯控訴として

(一) 原判決中被控訴人敗訴の部分を取り消す。

(二) 控訴人らは各自、被控訴人に対し、九五〇万円及びこれに対する平成四年七月二九日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

(三) 控訴人らは、被控訴人に対し、原判決別紙一記載の内容の謝罪広告を、原判決別紙二記載の謝罪広告記載要領の方法で、控訴人株式会社東京スポーツ新聞社発行の「東京スポーツ」の芸能社会面に掲載せよ。

3  訴訟費用は、第一・二審とも控訴人らの負担とする。

第二  当事者の主張

次のとおり付加、訂正するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

一  原判決の付加、訂正

1  原判決三枚目裏九行目の「本件記事は」の次に「、その全部が被控訴人の名誉を毀損するものであるが」を加える。

2  同四枚目表一行目の「事実を」から同七行目の「存する」までを「部分がこれに当たる。その前段の『毎度、毎回、おなじみの雑民党・甲野一郎(雑誌編集長)も、まあ懲り?もなくよく出たネ。被差別からの訴えのための出馬だろうが…。』との部分は、被控訴人が男性同性愛者であり、その人権と被差別解放を訴えて、息長く政治言論活動を続けている者であること、及びそれらの事実が読者間に広く知れ渡っていることを前提にした表現であり、『(被控訴人が)保守系超大物政治家・Aのキンタマを握っている』との指摘は、被控訴人が男性同性愛者の政治活動家であるとの認識を前提にすれば、男性同性愛者である被控訴人が『保守系超大物政治家・A』と男性同性愛関係にある事実を指し、『だから、Aは甲野のいいなりになっている』との指摘は、文字通りその関係故に『保守系超大物政治家・A』がその政治家としての信条を曲げて被控訴人のいいなりになっている事実を指すものであり、また、それに続く『Aを私がバラせば世の中、パニックになる』との指摘は、その関係が公になれば一大政治スキャンダルになるほど重大なものであり、それ故に『保守系超大物政治家・A』の個人名や『キンタマを握っている』関係の詳細は敢えて記載できないという事の重要性を示したもの」に改める。

3  同五枚目表八行目の末尾に続けて「また、被控訴人が特に問題としている部分に続く『だから……Aよ休神あれ』との部分は、一般読者の立場に立ってこれを読めば、Aに関する記事であって、被控訴人に関するものでないことは明らかである。」を加える。

二  当審における主張の付加

1  控訴人ら

(一) 一般読者は、被控訴人について、男性同性愛者(いわゆるオカマ、ゲイ)であるとの知識があるだけで、「雑民と称して被差別者及び社会的弱者の立場で政治活動を行っている」などという認識は全く持っておらず、被控訴人が超大物政治家といかなる関係にあろうと単に興味として一読するだけであるから、本件記事は、控訴人に対する社会的評価を何ら低下させるものではない。

(二) 控訴人東京スポーツは、控訴人菊池を信頼して同控訴人の意見、論評の場を与えているのであり、本件記事の作成には一切関与していない。仮に、控訴人菊池の執筆した記事に違法性があるとしても、信頼性の高い政冶評論家に掲載の紙面を提供した控訴人東京スポーツには過失はないので、本件記事を掲載した責任を含めて共同不法行為責任を負うべき理由はなく、少なくとも控訴人東京スポーツが謝罪文を掲載しなければならない程の違法性はないというべきである。

2  被控訴人

(一) 「東京スポーツ」の紙面は、セックス記事が大半を占め、しかもその編集態度は、情報提供の形をとってはいるものの、その情報の正確さは二の次にして、とにかく読者の性的興味を唆り、読者にその場で「覗き見」的な性的満足感を与えればそれでよしとする態度で貫かれている。

本件記事の「毎度、毎回、おなじみの雑民党・甲野一郎も、まあ懲り?もなくよくでたね」という立候補の受け止め方自体が侮辱的である。また、本件記事の「キンタマを握っている」との表現は、被控訴人が男性同性愛者として広く知られていることを前提にし、その同性愛行為を指摘ないし連想させるために用いられたことが明らかである。男性同性愛の認知・差別撤廃という革新的運動に長く信念として取り組んできた被控訴人に対し、実は保守系超大物政治家と親密な関係にあったという作り話をぶつけるということは、その運動家の自尊心と対外的名誉を著しく傷つけるものである。この点について、「ただAの秘密を握っているということに過ぎない」と解釈することは、控訴人らの編集、執筆の実態にそぐわず、単に形式的に表現の字面を見ただけにすぎないもので失当である。

本件記事が執筆、掲載されたのは、参議院議員選挙の公示期間中で、候補者が最も政治言論活動に精力を注ぐ期間であるとともに、有権者たる読者への影響が投票結果に直結する期間であり、現実にその悪影響を生じた可能性も大いにあると考えられる。

(二) 控訴人東京スポーツは、「東京スポーツ」の編集者、発行者であり、紙面の編集の総責任者として、自己の編集する新聞紙面でいやしくも名誉毀損等の違法行為が行われることのないよう、必要に応じて編集上の指揮監督をすべき注意義務がある。控訴人らの内部関係が、控訴人ら主張のとおりであるとしても、対外的に編集者として生じる責任、注意義務まで免責する理由にはならない。

第三  証拠関係

本件記録中の証拠関係目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  請求原因1及び2の事実は、当事者間に争いがない。

二  証拠(甲三、四ないし九の各1、2、一〇、被控訴人本人)によれば、次の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

1  被控訴人は、昭和四六年七月の参議院議員選挙に男性同性愛者であることを標榜して立候補したのを最初として、平成五年三月までに参議院議員選挙に八回、東京都知事選挙に三回、衆議院議員選挙に一回それぞれ立候補したが、いずれも落選した者である。

2  被控訴人は、最近では、昭和五八年四月一〇日の東京都知事選挙、同年六月二六日の参議院議員選挙(比例代表選出)、昭和六一年七月六日の参議院議員選挙(比例代表選出)、昭和六二年四月一二日の東京都知事選挙、平成元年七月二三日の参議院議員選挙(比例代表選出)、平成三年四月七日の東京都知事選挙、平成四年七月二六日の参議院議員選挙(比例代表選出)に、それぞれ雑民党代表として立候補し、右各選挙の選挙公報に、「マイタウン東京をゲイタウン東京に 世界のゲイの街にするために」「少数者の政治を」「もっともっと愛を」などの標題を掲げて、あるいは標題を掲げないで、時に卑猥かつ下品な文言・文章を交えるなどして、男性同性愛者であることを誇示するとともに、男性同性愛その他性の自由、猥褻やゲイ処罰の反対、被差別者への差別・偏見の撤廃、エイズ問題の解決などの主張を掲載した。また、被控訴人は、政見放送においても、同様の言葉を使用して、同趣旨の主張をした。

3  本件記事は、平成四年七月二六日の参議院議員選挙(以下「今回の選挙」という。)の選挙公報が発行される前に公表されたものである。

三  右の事実を前提として本件記事について検討する。

1  本件記事が被控訴人の名誉を毀損し、又は被控訴人を侮辱するものであるか否かについては、一般読者の普通の注意と読み方を基準として、本件記事全体を観察して判断すべきであるところ、右の観点から本件記事をみると、その中心的部分は、「彼は自分を『雑民』といっているが、保守系超大物政治家・Aのキンタマ(汚ない表現だな、反省)を握っているよ。だから、Aは甲野のいいなりになっている。Aを私がバラせば世の中、パニックになる。」との部分であり、その余の部分は、本件記事を全体的に観察しても、被控訴人の名誉を毀損し、又は被控訴人を侮辱するものであるということはできない。以下、まず後者の部分について述べ、次に中心的部分について検討する。

2(一)  「毎度、毎回、おなじみの雑民党・甲野一郎(雑誌編集長)も、まあ懲り?もなくよく出たネ。」との部分は、被控訴人が多数回の選挙に立候補したがいずれも落選したとの過去の事実を踏まえて、今回の選挙にもまた立候補したことを揶揄して表現したものと認められるが、未だこれが被控訴人の名誉を毀損するものであるとか、被控訴人を侮辱するものであるということはできない。

(二)  「被差別からの訴えのための出馬だろうが…。」との部分は、被控訴人の従前の立候補の際の主張等に基づいて、今回の選挙に立候補した被控訴人の意図を推測した控訴人菊池の意見表明であると評価し得るものであるところ、被控訴人が過去に被差別者への差別・偏見の撤廃を主張して立候補した事実があること、本件記事の後に配付された選挙公報(甲三)に記載された被控訴人の主張及び被控訴人の政見放送の内容(甲一〇)等に照らすと、右の推測が誤っているということはできず、これが被控訴人の名誉を毀損し、又は被控訴人を侮辱するものであるということもできない。

(三)  「実は甲野も旧知の人だ。私の友人の頼みで甲野の相談を受けたことがある。」との部分は、その事実の真偽はともかくとして、被控訴人の名誉を毀損し、又は被控訴人を侮辱する内容であるということはできない。

(四)  「乱を好まない私、そんなバカなことせんから、Aよ、休神(きゅうしん=安心)あれ。」との部分は、超大物政治家Aを主たる対象とした控訴人菊池の意思表明であり、被控訴人の名誉を毀損し、又は被控訴人を侮辱するものであるということはできない。

(五)  右(一)ないし(四)の記事を本件記事の全体の中で観察しても、これらが被控訴人の名誉を毀損し、又は被控訴人を侮辱するものであるということはできない。

3 そこで、本件記事の中心的部分(以下「本件部分」という。)について検討する。

(一) 本件部分を本件記事全体の中で観察すると、一般読者が受ける印象は、被控訴人は、雑民と称して被差別者の立場から活動をしているが、保守系超大物政治家・Aの社会的に重大な事項に関する弱みを握っているので、Aは被控訴人の意のままになっているというに止まるものであると認めることができる。

この点について、被控訴人は、「キンタマを握っている」との表現は、被控訴人が男性同性愛者として広く知られていることを前提にし、その同性愛行為を指摘ないし連想させるために用いられたことが明らかである旨主張するが、右の表現は人の秘密ないし弱点を握っているという意味において通俗的に用いられていること、本件記事の中に男性同性愛について直接触れた箇所がないこと、控訴人菊池は、その本人尋問において、「キンタマを握っている」とは秘密を握っているとの趣旨である旨述べていることを総合考慮すると、被控訴人が男性同性愛者であることを一般読者が知っていることを前提としたとしても、被控訴人とAとが同性愛の関係にあることを指摘したものとは解することができず、まして、本件部分が、被控訴人とAとが男性同性愛の関係にあるが故に「だから、Aは甲野のいいなりになっている。」ことを事実として指摘したものと読み取ることはできない。したがって、この点に関する被控訴人の主張は、採用することができない。

(二) 本件部分は、Aが誰であるのか、握っている秘密ないし弱点が何であるのか、Aが被控訴人のいいなりになってどのような行為をしたのか、被控訴人とAとがどのような関係にあるのか等の具体的事実については何も指摘していない。すなわち、本件部分は、余りにも抽象的であって、一般読者の立場に立ってこれを読んだ場合、興味を唆られることがあっても、これによって被控訴人の名誉に関して何ら、かの具体的な評価を形成することができるものとは認められない。したがって、本件部分は、未だ被控訴人の名誉を毀損するに足りるだけの具体的な事実を摘示したものということはできず、また、その内容に照らして、被控訴人を侮辱したものであると認めることもできない。

この点について、被控訴人は、男性同性愛の認知・差別撤廃という革新的運動に長く信念として取り組んできた被控訴人に対し、実は保守系超大物政治家と親密な関係にあったという作り話をぶつけるということは、革新的運動家としての自尊心と対外的名誉を著しく傷つけるものである旨主張するが、一般読者において、被控訴人が男性同性愛者であり、その社会的認知を求めているということ以上に、被控訴人が保守と対立する革新的運動家であるというような事実を知っていたものと認めるに足りる証拠はなく、また、本件記事を全体として観察しても、これによって被控訴人の自尊心を対外的名誉を傷つけるものであるとは認められず、右の主張は採用することができない。

(三) 本件部分には、控訴人菊池自身が記事の中で認めているように、汚い表現があるが、表現が汚いものであること自体は、表現者の品性を疑わせることがあり得るとしても、被控訴人の名誉を毀損するものでないことはもとより、被控訴人を侮辱するものではないというべきである。控訴人東京スポーツの編集方針が被控訴人の指摘するようなものであったとしても、右の判断を左右するものではない。

四  以上のとおり、本件記事によって被控訴人の名誉が毀損され、又は被控訴人が侮辱されたものとは認められないので、被控訴人の本訴請求は理由がない。

よって、原判決中控訴人ら敗訴の部分は相当でないから、本件控訴に基づいてこれを取り消した上、右部分につき被控訴人の請求をいずれも棄却することとし、原判決中被控訴人敗訴の部分は相当であり、本件附帯控訴は理由がないからいずれもこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法第九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官清水湛 裁判官瀬戸正義 裁判官小林正)

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